1977年(昭和52年)早明浦ダム完成により、村役場を含め村の大部分が水没した。ピーク時に 約4,000人いた人口は白滝鉱山の閉鎖、ダム完成 による集落の水没などがあり、約1,000人まで落 ち込んだ。大川村の村民は今まで、このような幾 多の困難を乗越え、村を守ってきた。人口は減少 しても復興への熱い想いは誰より強く、村の基 幹産業である畜産業に力を入れている。大川黒牛、土佐はちきん地鶏等、生産者の熱い想いで丁 寧に仕上げた商品は、他には無い物です。
土佐はちきん地鶏生産者 近藤 政徳さん
――はちきん地鶏が特産品になったきっかけを教えてください。
県が開発した鶏(現: 土佐はちきん地鶏)を、大川村で試験的に飼育したことが始まりです。それから、土佐はちきん地鶏を食肉用地鶏として出荷するため、膨大な労力と時間を費やして試験データをとり続けました。そして、何度か挑む中で結果があらわれ、村を挙げての特産品として飼育を進めることとなりました。
――飼育する場所はあったのですか。
先ずは、現在使われている鶏舎は元々園芸用の施設でした。 経緯となりますが、白滝鉱山で栄えていた村が突然の閉山となり、一気に過疎になりました。そこで、昭和56年頃に村が 「総合開発計画」を構想し、「村に生業を増やすこと」、「人口減少を食いとめ若者の定住を進めること」などを目標に掲げま した。その計画の一つが、園芸施設を村に作ることでした。昭和61年から本格的に動き始め、順調にハウスも増え、人口の減少も緩和されましたが、園芸事業は様々な課題が発生し、継続が難しくなりました。その後、土佐はちきん地鶏を村の特産品にする話が盛り上がり、元々園芸を行っていた施設を有効活用して地鶏を育てようということになりました。
―――土佐はちきん地鶏の数は順調に増えていったのですか。
300羽ほどのヒナの飼育から始め、徐々に増羽していきました。当時の地鶏の定義である「飼育期間80日以上」を満たした鶏は、平成19年にようやく本格的に出荷することができています。土佐はちきん地鶏は程よい期間飼育することで、肉質の良さ・適度な歯応え・旨味につながるものでもあります。また、試験導入当初は限られた空間だったので少数を生育していましたが、現在は生産羽数も順調に増やせています。
――お仕事の中で一番大切にしていることはなんですか。
一つ違えば全てにつながっていくという点で、全ての業務が大切であり真剣勝負。何一つとして欠けてはならない仕事だとつくづく 思います。強いていうなら「ヒナを育てる」という土台作りであり、物事の最初です。最初の段階でいい状態のものを作る事で、その 後の良質さに全て繋がって行きます。特に最初の「水と餌」をいかに食べさせるかが肝心。餌付けを良くするための努力は大切です。
――大川村の環境も生育に影響していますか。
勿論、影響しています。大川村の天然の水質や澄んだ空気は、はちきん地鶏の良質さに影響を与えています。併せて、標高750mに 位置する山々に囲まれた人里離れた静かな土地では、ストレスを感じやすい鶏が心地よく成長でき、何物にも代えがたい価値があり ます。
――生育するうえで気を付けていることはありますか。
とにかく土佐はちきん地鶏はストレスに敏感であり、少しの環境の変化で生育に違いが出てくるため環境条件を整える事に気を 配っています。特に温度管理は重要。山間部での飼育なので、外部ストレスは少ないですが、山深い地域ですので季節による気温の違 いは激しい。夏は冷涼で過ごしやすい反面、冬の寒さは当然厳しい。温度変化が四季に左右されない様に、冬は木材を燃料とした暖 房を使い常温に整えています。また、重要なヒナの状態の時期も、最初の4週間ほどはこまめな温度調整を欠かしません。
――現在の出荷率はどのくらいですか。
生育したうち、95%は出荷できていますね。ストレスに弱い鶏ですが、大川村のもつ環境の良さ、心地よい環境を保つ努力でロスは5%だけに抑えられています。
――市場に出す際に気を付けていることを教えてください。
生きたままの土佐はちきん地鶏を迅速に処理場へと運ぶこ と。それから、一羽一羽丁寧に検品する事です。検品は全て村内で細かく行っています。X線や金属探知機などの技術、それから、村の職人の二重の目で重点的にチェックしています。
――最後の処理まで村内で完結しているのですね。
大川村は、生産から処理までワンストップで行っている全国的に見ても数少ない自治体だと思います。処理場は、高知県版 HACCPステージⅢの認証を受けるほどの衛生環境を保持して います。
――何故すべてを担うようになったのですか。
土佐はちきん地鶏の生産から処理まで関わることは、雇用の場の創出にもつながり「人口を維持する」という当初の目標にも結びついています。そして何より、村民の地鶏にかける想いからくるもの。強い責任感と、愛情を注いだものを見守りたい一心からです。また、人 様の口に運ばれるもの。そこに誤魔化しは利きません。愛情を込めなければ絶対成立しない生業です。
――謝肉祭は実際に味わう人々を見られる嬉しい機会ですね。
美味しいと言って食べてくれる姿は大変励みになります。謝肉祭は黒牛が目立ちがちですが、訪れた方々からは「この鶏も抜群に 旨い!」という賞賛を頂いています。その声は本当に励みになります。
――生産者から見る土佐はちきん地鶏の魅力はなんでしょうか。
新鮮さと臭みの無さです。処理まで一貫内製で行っているからこそ出せる魅力でもあります。だからこそ、誰に食べてもらっても美 味しいと言ってもらえる。世に出すまでは相当な労力と苦悩がありますが、ただただ「旨い!」と言ってもらえるのがはちきん地鶏の使命。その一言で全てが報われる。
――現状働いている人の状況はいかがですか。
現状のスタッフで一番の若手が30代半ば。高年齢のスタッ フが増えており、後継者不足は最大の課題。大川の畜産を守ってくれる人を育てていきたいと切実に思います。
――将来のビジョンを教えてください。
村内の誰もがはちきん地鶏の育成に関われる形を作り、 後継者につなげていきたい。そのためには、地鶏を増羽し育成を続けていくことが「村の基幹産業」としての使命だと考えています。そして何よりも、村の生業として事業継続してい き、次世代へつなげることが我々の努めだと強く思います。
大川黒牛生産者 近藤 洋一さん
――黒牛を育てていく中で気を付けていることはなんですか。
体調管理です。365日行う餌やりだけでその日の牛の調子が分かります。通常なら、朝起きるとすぐに餌を食べに来るのですが体 調が悪ければ一切食べに来ないです。少しでも餌を残していると調子がすぐれない証拠。これは毎日牛を見ていないと気づくことは できません。その他は、牛の生活環境を整えること。寝床を整えることはもう一つの朝の日課です。牛が滑らないようにマットレスの役割となる「おがくず」を崩して寝床を構えま す。その動作の違いもしっかり監視しています。
――黒牛の飼育期間はどれくらいですか。
29カ月間(約2年半)です。
――29か月という長い期間、育てていく上での悩みなどはありますか。
下痢や感染症など「牛の病気」には頭を悩まされます。その点で大切にするのは、やはり日々の「体調管理」となります。毎日、牛の行動を見守ること、30年以上黒牛を育ててきたこともあって、ほんの少しの差にも気づけるようにはなりました。今でも、 朝に起き上がらず寝たままの牛がいるとドキッとしますね。その他にもクリアしなければならないことがたくさんあり、 シビアな生業です。
――そんな中、出荷される年間頭数はどれくらいなんですか?
だいたい、年間50頭くらいです。これは全国的に見ても、非常に少ない頭数です。そんな貴重な大川黒牛ですが、1人でも多くの人に その美味しさを味わってもらいたい。そんな思いから、年に1度の村の一大イベント「謝肉祭」では、なんと出荷頭数のうち7~8頭分ほど提供しています。
――嬉しく思うことは何ですか。
大川村人口の約4倍の人が集まる「謝肉祭」で、お客様たちが「美味しい!」と食べてくれている姿を見たときは本当に嬉しいですね。それから、同じく年に一度の枝肉の共励会で賞を獲った時。努力が報われた証拠でもあり喜びも大きい。「また頑張ろう」という活 力の糧にもなっています
――市場に出す際に気を付けていることはありますか。
身体の汚れは勿論のこと、爪の先まで綺麗に水で洗い流し美しい状態にしています。心血注いだ牛たちです。最後の最後まで手入れを欠かさず見送ります。
――最も重要視するのはどの時期ですか。
それは「土佐はちきん地鶏」と同じく最初。生業の始まりでも ある「子牛」の時ですね。子牛の恰好やお腹の出具合など、色ん な部分を厳重にチェックします。牛の状態でどれが大きく育つ か判断ができますので。牛の持つ本来の力を出せる様、子牛の 段階からしっかり見極めて育てていきます。勿論、いい子牛だ から大丈夫だということではない。「ゆりかごから墓場まで」と いう人間に当てた言葉がありますが、黒牛も同じ。その一生に 愛情を持って寄り添わなければならない。これは畜産だけでな く、一次産業に携わる方々は皆持っている信念かと思います。
――大川黒牛の他とは違うこだわりはどんなところでしょう?
こだわりは「餌」と、大川村にしかない「水と空気」です。餌は、ワラとトウモロコシなどの農耕飼料に、大麦を加えるところが村ならではと思います。さらに、5年前から餌の仕上げに添加物を加え始めたのですが、以前よりも黒牛の味が際立つようになったと感じます。今後も、牛の体を作っていく餌づくりにはこだわりを持っていきたいです。そして、なんといってもこの村の環境。標高、湿度、温度 は元より、微生物等の細部に渡る部分も含め、ここにしかない厳しくも優しい自然が大川黒牛たる存在にしてくれています。
――黒牛にかける夢や希望を教えてください。
もっと多くの人に大川黒牛の存在と味を知ってもらい、全国の人に食べてもらいたいというのが率直な願いです。高知の市場では 赤牛が有名ですが、希少な黒牛の名も知れ渡ってほしいと思います。まだまだこれから。一頭一心で努めて行きます。